PUNK DREAM, TERROR NIGHT: Reaper with Vapor

このSSは拙作『PUNK DREAM, TERROR NIGHT』を踏まえたskebリクエスト作品です。
時系列は前日譚にあたりますが、『PUNK DREAM, TERROR NIGHT』本編のネタバレが含まれるためご注意ください。
また、登場人物はご依頼主と同卓者の探索者になるため、すべてのパンドリ通過探索者に適用される物語ではありません。

▼シナリオ本編はこちら

【ver2.0】CoCシナリオ『PUNK DREAM, TERROR NIGHT』 - ゴムヤボシ - BOOTH
23.11.02に大型アップデートを実施しました。 【アップデート内容】 ・イベント追加 ・KP情報大幅追加 ・NPC画像追加 ・トレーラーリニューアル ・部屋&ロゴ素材追加 ・投げるだけ!部屋素材zip追加 ※中文版本ver.2.0将在稍后实施。(アプデ版の中文版は後日実装予定です) ※旧版の本文及び画像素材の使用は...

Prologue.
冷めたナゲットを温め直す。
フレディは2年前に華々しく我が家のキッチンに登場したマイクロウェーブ・オーブンにナゲットを慎重に4つだけ並べ、蓋を閉めた。ダイヤルを50秒くらいに合わせる。5つ以上は全部温まらないし、1分だとカラカラになってしまうというのが、この2年でフレディが学んだことだった。
これ見よがしなスタートボタンを押すと黒い蓋の向こうがオレンジに光った。ナゲットたちが回っているのを見つめながらぼんやりしているうちに温めが終わって暗くなる。同時に曖昧な自分の顔と、ハットを被った背の高い男が黒い蓋に反射した。
「……ッ」
驚いて振り返るが、誰もいない。
ここ数日、このようなことばかりが続いていて、さすがのフレディもやや疲れていた。温めたナゲットをつまんで皿に移し、ため息をついて口に放りこんだ。
「いい加減にしろよな!」
フレディの悪態に返事はない。段々とナゲットを運ぶ手が緩慢になった。あの男を見た直後はどういうわけか頭がぼんやりして疲れてしまうのだ。
両親が帰ってくるまであと1時間ほどあることを確認し、フレディは仮眠をとることにした。

1.
湿ったコンクリートの匂いと、体に悪そうな合成塗料の匂いが鼻を掠めた。これは夢だ。夢なら、やることは一つだった。
フレディは目を開けるよりも早く銃を構えて撃つ。だが相手はそれを見越していたかのように左に動き、文字通り“流れるような動作で”ドラム缶を越え、フレディに踊りかかった。視界に中折れ帽を認めるや否や、フレディは銃の持ち手で思い切りその下を殴った。殴打というより破裂に近い音が周囲に響く。
ぼた、ぼた、と黒と蛍光色が混じった液体が地面に垂れた。
「なんだそれは」
垂れた液体が逆再生のように帽子の下へ収まっていく。
黒コートに黒い帽子、黒いシャツ……を縛り付けるような赤いサスペンダーという、一見マフィア映画にでも出てきそうな偉丈夫でありながら、その顔は服と同じく真っ黒だった。
磁性流体の体を持つ怪人──フルーレセント・フェロフリュイドだ。
「なんだ……って、距離詰められたから殴っただけだろ」
「子供みたいな戦い方だ」
フェロフリュイドは口をへの字に曲げた。目鼻はないが、付き合いの長いフレディにとっては同世代の女の子より心を読みやすい。しかし今はそこまで機嫌を取ってやる気にはなれなかった。
「子供みたいなのはそっちのくせに」
「なんだと?」
聞き捨てならんとばかりに怪人が低い声を出した。
「最近変なことを覚えたの知ってるんだぞ。小学生でもやらない脅かしばかりして」
「脅かし?」
「さっきだってナゲット温めてるときにオレのすぐ後ろに立ってただろ」
「知らない」
「そんな見え透いた嘘を……」
「知らん!」
怪人は牙をむき出しにしてフレディに怒鳴った。猫の毛のように流体の表面が逆立つのが見えた。
「あの箱には近づかない」
「なんだって?」
「あの忌々しい箱には近づかないと言っている」
フレディはフェロフリュイドを押し戻しながら眉をひそめた。言い方がイマイチ的を射ないのはいつものことだが、表現や口調が少し引っかかった。フレディは顎に手を当てて倒れたドラム缶に座った。フェロフリュイドは応答を待っているのか、仁王立ちのまま見下ろしている。
「……講義でやったかも。磁石にマイクロ波を当てると発熱するんだっけ」
フレディは顔を上げて宿敵の顔を見た。
「お前、電子レンジに弱いんだ?爆発する?」
「弱くない。近づかないだけだ」
フェロフリュイドはまた牙を見せたが、誤解は解けたと思ったのかそれほど長く食い下がっては来なかった。
これで一件落着である──とはいかない。
「じゃあオレは現実でも似たような奴に付きまとわれてるってこと?」
フレディが発した言葉が、フレディ自身の耳に届く前に視界がぼやける。フェロフリュイドの首をかしげる姿を最後に、意識が引き戻されていくのを感じた。

2.
フルーレセント・フェロフリュイドが昼間どんな景色を見ているかというと、それこそ水面から地上を見上げている状態に近い。
ホームタウンと無理矢理繋げているフレディの影を起点として他の影に移動することも可能だが、視界が狭いことには変わりなく、拠点のフレディから離れてまでメリットを感じることは少なかった。
だが、今日はそうも言っていられない。フレディによると、現実世界で彼自身を狙っている奇妙な存在が居るという。フレッド・S・クレイヴンがフルーレセント・フェロフリュイドの標的であることを考えれば、それは到底許されることではなかった。
「それ疲れないか?」
額縁が作る僅かな影に張り付いているフェロフリュイドを見て、フレディが訝しんだ。
「黙れ。貴様の代わりに見てやってる」
「そう……」
フレディが講義室の右端の席に座ったため、鞄や椅子の影を伝って壁に掛けられている絵画の影まで昇った。フェロフリュイドの視界は見上げる形から見下ろす形に変わり、講義室を一望できる状態になっている。
正面の開きっぱなしの扉からは遅れてきた学生たちがまばらに入ってきていた。それも数分もすれば落ち着き、廊下の向こうには静寂が訪れた。
「ん?」
フェロフリュイドは影の中で顔を上げた。
カツン、カツン、と靴音が聞こえる。
扉の向こうでゆっくりと、中折れ帽を被ったインバネスコートの人物が横切っていく。
両手に一つずつ持たれた振り香炉から薄く煙が立ち上っている。
フェロフリュイドはそれが何か知らない。
だが、あの顔は知っていた。
「フリュイ?」
「うるさい……あっ」
フレディの声に一瞬気を取られた隙に人影は通り過ぎ去ってしまったようだ。怪人は猫のように影を飛び移り、宿敵の手にがぶりと噛み付いた。
「い!…ったいなあ」
隣の席からの視線を気まずそうに受けながらフレディは抗議した。だが、フェロフリュイドにも言い分がある。
「見失った。お前のせいだ」
「なにを?」
「帽子の男」
「居たのか!?」
フレディが大声と共に立ち上がった瞬間、講義室の視線が一斉に集中した。教壇のマーガレットがため息交じりに「フレッド・S・クレイヴン…」と言いかけたが、それは廊下からの悲鳴でかき消された。
「キャアアアア!!」
「誰か、誰か来て!」
フレディは咄嗟にバッグを持って講義室を飛び出した。不愉快ながらフェロフリュイドもそれについていくしかない。廊下には既に人だかりができていた。搔き分けなければならない坊やに対して、怪人はすいすいと足元を縫っていった。
「む…」
「フリュイ待てって……わっ」
集団を抜けると、ブロンドの女生徒が一人、ロッカーの中に倒れ込むように横たわっていた。
口からは黄色い泡が吹き出ている。
目はあらぬ方向を向いており、手足はびくびくと痙攣していた。
「救急車を!」
誰かが叫んだ。フェロフリュイドは学生の影が散り散りになるまで、しばらく涎まみれの女の髪を見つめていた。

3.
フレディは図書館に駆け込み、『アメリカの怖い話』『都市伝説全集』といった胡散臭い本を片っ端から手に取ってテーブルに置いた。
ページをめくるとやはり一番大きく載っているのは「ブギーマン」である。
アメリカ中の子供は一度は連れ去られる自分を想像して泣き喚いたことだろう。フレディも7歳の頃、興味本位で電話のネジを全部外してしまった際に、母親からブギーマンの存在を告げられて大泣きした記憶がある。
「ただ、帽子を被ってるとは一言もないんだよなあ」
この有名な怪異には決まった容姿がない。この本においても、悪い子を連れ去るという行動原理だけが豊富な事例で語られているだけだった。
そしてフレディは特別いい子でもないが、悪い子でもなかった。なにより、もう子供でくくられる年齢ではなかった。
「私の話を聞いてなかったのか」
足の下から声がした。
「聞いただろ。『知ってる』って言うから誰なんだって聞いたら『知らない』って言った。で、終わり」
「『知ってる』じゃない……」
途中で消えた声と入れ替わりで、本の上に「I’ve seen.(見たことがある)」と緑の蛍光色が踊った。
「馬鹿!借りものだぞ!」
「黙れ」
「お前っ…。わかったよ、どういうことなんだ?」
フレディはティッシュで液体を集めながらため息を吐いた。一見インクに見えるが、どろどろの磁性流体なので寄せ集めさえすれば塊となって処理しやすくなるのだ。
「そのままだ。名前も知らない。素性も、目的も。だが見たことはある」
「どこで?このへんでか?」
「……昔」
「昔って…、オレと会う前?」
フレディは目を丸くした。
本人から詳しく聞いたわけではないが、フェロフリュイドは元々研究施設に居た──断片的な発言からフレディはそう判断している──人工生命体なのだ。
「じゃあその施設に居た奴ってことか?お前を追ってきた?」
「わからない。だがあの顔は覚えている」
「ど、どんな奴なの」
ごくりを唾を飲み込んで、フレディは足元の影に顔を向けた。影の中で一瞬蛍光色の口が開かれるのが見えるもすぐに閉じられ、また机上の本にじわじわと塗料が広がった。
「描いてやる」
光を帯びた緑の液体が器用に顔の輪郭らしきものを描き始めた。
大きな円が足される。その円は縁どられ、また異なる円が現れる。
ペンもインクもない本の上で精巧な筆致で細部が描きあげられていく様子を、フレディは食い入るように見つめていた。
しかし、数十秒後にそれは大きなため息と共に打ち切られた。
「ああ……、フリュイ」
仕上げられた“似顔絵”が影の中の作者に向けられる。
「これはな、ガスマスクって言うんだよ」

4.
「ガスマスクの怪人?」
突拍子もない単語に声が上ずる感覚がある。
「あなたってそういうのに興味があるの?フ…フレッド」
ソフィアは銀のトレイをぴったりと胸にくっつけて持ったまま縁をなぞった。さっき慌ててつけた小さい青いリボンが曲がっていやしないかと心のどこかで気にしながらも、瞳はポテトを食べるフレッド・S・クレイヴンをしっかりと捉えている。
「うん。知らない?」
「ええと、マスクをつけているのかわからないけど……似たような怪談は聞いたことあるわ」
「本当に?」
フレッドがパッと笑顔になった。ソフィアは咄嗟にトレイで顔を隠して頷いた。
「子供の頃に……聞いたの」
「どんな怪談?あ、座って」
「え?と、隣に?」
「いや、向かい、いや、どっちでもいいけど」
「あっ、そうよね」
ソフィアはそそくさとエプロンを払って座る準備をしたが、そのままぐいと後ろに引っ張られてしまった。
「どっちもよくないわ。この子は仕事中なの、ね?ソフィア」
この店の──『ビアンカズ・ダイナー』の看板娘のサラだった。ソフィアとは真逆のけばけばしい化粧と大きなピアス、大雑把にまとめただけのブロンド。自分との唯一の共通点は髪色だけだと感じる。
「やだ、そのリボン何?さっきはつけてなかったじゃない」
「ち、違うの」
「アンタ……」
サラはフレッドを横目で見て鼻で笑った。
「ま、お似合いかもね。アンタは会話できないし、フレディは一人で喋ってる変人だから」
サラはカラカラ笑いながらカウンターへと戻っていった。フレッドが変人というのは、ソフィアも少し思い至ることがある。時折自分の足元に向かってぶつくさと何かを言っているのだ。
だが、一年生の頃、引っ越したばかりで不安だらけだった自分に気さくに話しかけてくれたのは彼だった。
「し、失礼よね、彼女……」
「まあ、いつものことなんじゃない?」
フレッドはあっさりとしていた。それよりも先ほどの話題に戻りたいという表情をしているように見える。
ソフィアはお目こぼしをもらえたと解釈してフレッドの向かいに座った。
「それで、ガスに関係する怪人よね」
「うん。どんな奴なの?」
「私たちの街では“マッドガッサー”と呼ばれてた」
Mad Gasser(イカれた毒ガス野郎)は、ソフィアの地元で有名な怪人である。今から50年ほど前にマトゥーンで実際にあった怪事件の犯人らしいが、ソフィアが聞いた時分には既に神出鬼没の怪人──それこそブギーマンのような存在として語られていた。
「そもそもその事件も目撃情報が黒づくめの男だったとか、いや赤いハイヒール女だったとか錯綜したらしいの。しかも物的証拠はなし。えと、つまり」
「残ってたのは被害者だけ?」
ソフィアは頷いた。
「その…変なことを聞くようだけど、倒し方って知ってる?」
フレッドの質問はまるで10歳の子供のようだったが、表情は妙に真剣だった。ソフィアは質問する気にも茶化す気にもなれず、同じく真剣に首を横に振った。
「私が言われたのは『一人でいると襲われる。マッドガッサーは大人しそうで独りぼっちの子を狙う』って話だったから…」
「それって、ブギーマンみたいだね」
「そう、そうなのよ」
先ほど自分が考えていたことと同じことをフレッドが言った嬉しさでやや声が大きくなった。カウンターからサラの咳払いが聞こえた。
「ち、力になれたかな。課題か論文…?だよね、きっと」
ソフィアは慌てて小さな微笑みを浮かべた。フレッドはなぜか一瞬言いよどんだが、「そう」と言った。
「すごく参考になったよ。ありがとう」
「よかった……あ、あの」
ソフィアは震える声を必死になだめてフレッドを見た。
「も、もしかしたらお父さんのほうが詳しい話を知ってるかもしれないから、今日、聞いてみるね。だから…また話さない?」
目の前の青年は、眼鏡越しに大きな目を丸くした。そしてひまわりのような笑顔を見せるとソフィアの手を握った。
「もちろん!ぜひお願いするよ!」
──それからの記憶は少し飛んでいる。
いや、心臓が口から出そうになりながらもフレッドを見送ったのは覚えている。それから定時までの仕事はよく覚えていない。4つくらい注文を間違えた気がする。だがソフィアにとってそれはどうでもいいことだった。
「閉店作業、代わろうか?」
呆れ切った顔のサラから声がかかる。失礼なだけで、悪い子ではないのだ。ソフィアはやや自分に恥じ入りながら首を振った。
「だ、大丈夫。ごめんね、今日は失敗ばかりで…」
「いいのよ。アンタって処女だったのね」
やはり一言多いままサラは派手なジャケットを羽織って出て行った。彼氏を待たせていたのか、短いクラクションが響いた。
誰も居なくなった夜のダイナーで、ソフィアは戸締まりを始める。おかみさんは子供の迎えのためにいつも早く上がるし、オーナーであるご主人は買い出しのまま直帰する日だ。
入学したての頃は覚束なかった店じまいも今や慣れたものだった。
電気を消せば、あれだけ派手だった店内も彩度が落ちる。まだ切っていない外の大看板の灯りが店内に差し込み、入口付近だけ少し明るくなっていた。
そこに、誰かの影が落ちている。
「……店長?」
ソフィアは電気のスイッチの側に立ったまま眉をひそめた。入口の傍にはカウンターがある。影を見るに、カウンターの中で何かを探しているようだった。
「いつの間に帰ってきたんですか?もう閉めちゃって…」
なぜかざわつく胸を押さえたまま店の奥から手前までゆっくり歩き、カウンターを覗き込む。
ソフィアの目に映ったのは、黒い中折れ帽だった。

5.
ソフィア・ウィルバーグが死体として発見された。
フレディは泣きじゃくるサラに事情を聞いたが要領を得ず、辛うじてわかったのは吐しゃ物にまみれて床に倒れていたということだけだった。
その後、あちこち野次馬をしてどうやら即死ではなく、一晩放置されたことによる窒息死らしい、とわかった。
大学構内はそれなりの騒ぎになった。
「なんで彼女が?俺のせいで?」
空き教室に入ったフレディは柄にもなく混乱して髪の毛をぐしゃぐしゃと搔きまわした。一方、フェロフリュイドは影の中でいくらか思案しているようだった。
「次はお前だ」
フェロフリュイドの言葉にフレディの手が止まった。
「やっぱり俺が本来の目的なのか?」
「違う。似ているからだ」
「何…、俺とソフィアが?」
「一人目もだ」
フレディは一人目の被害者を思い出す。法学部の優秀な学生らしいが、学部が違うし、自分とはまるで接点がない。事件当時に目撃者を探したが誰も決定的な瞬間は見ていなかった。本人も未だ意識不明の重体である。
「どう似てるんだ?彼女は優等生で、女の子だ」
「色」
何を…と言いかけて、フレディははたと気づいた。
「もしかして、ブロンドのことを言ってる?」
法学部の学生も、ソフィア・ウィルバーグも、そして自分もブロンドのコーカソイドだった。
影の中でフンと短いため息が聞こえた。
「た、確かにシリアルキラーが似たターゲットを狙うっていうのはあるけどさ、だとしても性別が違うし頭の出来とかさ、」
「それはお前らが言っているだけだ」
怪人の言う“お前ら”とは、何か。フレディは少しばかり背筋が薄ら寒くなった。性別や成績というのはまったく持って、有性生殖をする社会的動物、すなわち人間の尺度でしかない──と言いたいのだろう。
「じゃあブロンドは全員対象?違う、ソフィアはたしか『独りぼっちの子』って言ってた」
「色と状況だ」
「事件当時のマッドガッサーは…」
フレディは鞄から古い新聞のコピーを取り出した。昨日ソフィアと別れたあとに自分でも調べたものだった。
「独身女性や夫が不在の女性を狙ったって書いてるけど、これも見方を変えれば一人歩きが多いってことだ。当時はもっと徴兵制度が厳しかっただろうし、割合として女性がターゲットになりやすかっただけなのかも」
「わかったなら用心しておけ」
フレディは怪人の忠告には返事をせず、“得物”を入れているほうのバッグを背負い、勢いよく立ち上がった。
「どうした」
訝し気な声が足元から響いた。
「ぼさっとするなよ。家に帰るぞ」
「何?この時間に帰ったら…」
「そうだ。変な時間だから人通りも少ないし、今日は家に誰もいない」
「だから、」
「だから、きっと奴は来る。俺が仕留めればこの事件は解決する」
「待て」
足を掴んできたフェロフリュイドの手をバッグで払った。癇癪じみた唸り声が影から上がる。
「私の話を聞いていなかったのか!」
「聞いてたよ!参考にして今解決しようとしてるんだろ。一緒にマッドガッサーを倒そう」
「な、何」
「このままだとソフィアみたいな子が増えちゃうんだ。俺もターゲットなら俺で終わらせたほうが早い」
フレディは大学を飛び出した。フェロフリュイドは単語だけの要領の得ない罵倒を続けていたが、影の中に入っている以上そのまま運ばれていくしかなかった。まだ夕暮れ前、自宅の玄関を開ける。予想通り、しんと静まり返っている。
「この前はここに立ってた」
フレディはバッグを下ろし、愛銃を取り出しながらキッチンに立った。フェロフリュイドは既に別の影に移っている。
「玄関から入って来たのか…もしくは、リビングの窓からかな」
電子レンジはキッチンカウンターの一番手前に置かれている。玄関からリビングに抜ける通路に面しているので、どちらから入って来たとしても不思議ではない。
「フリュイ、念のためリビングの窓開けておいて」
フェロフリュイドはぶつくさ言いながら器用に窓枠を伝って鍵を開けた。一陣の風が室内を吹き抜け、フレディのブロンドを揺らした。
「他は施錠してるよな…。単純に歩いて入ってくるのかわからないけど」
フレディは一旦リビングに行き、小窓や他の部屋へのドアをチェックした。相手がガスを使うなら密室にはしたくない。だからわざと一か所だけ開いている窓を作ってしまおうと考えたのだ。
「俺は台所に居るから、リビングから入ってきたら撃てる」
いつもフェロフリュイドのホームタウンにある瓦礫やドラム缶でやっているように、カウンターを遮蔽物にして銃を構えてみる。家の中でやるとは思わなかったが、案外しっくりきていた。
「その前に私が殺してやる」
居間から聞こえるフェロフリュイドの声に小さく笑みがこぼれた。
「頼りにしてるよ」
「するな。自分でやれ」
「さっきと言ってることが違うぞ」
そう軽口を叩いて、「あ」と声が出た。キッチンの換気扇も点けておくに越したことはないだろう。フレディは一旦銃を下ろして奥の壁にあるスイッチへと向かった。
「フレディ!」
フェロフリュイドの声が響いた。咄嗟に後ろを振り返る。視界いっぱいに黒が広がる。インバネスコートの上に、丸いガラスがはめ込まれたガスマスク──。
最初からこの家のどこかに居たのだ。気づいたときには脳がぐらぐらしていて、そのまま強烈なパンチが腹に入った。フレディは床に投げ出されながらも、銃を取って応戦しようとする。
──だが。
指に力が入らない。銃を引き寄せることができたものの、構えることも、ましてや引き金を引くこともできそうになかった。視界がかすむ。見上げれば、マッドガッサーの振り香炉がシュウシュウという機械的な音を出しながら煙を吐いていた。
「ふざけるな!」
フェロフリュイドが怒声と共に影の中から飛び出した。手をかぎ爪状にして踊りかかる。一瞬だけの、現実へ介入する渾身の一撃でマッドガッサーの左腕を飛ばしたが、隙を見せることもなく右手の振り香炉がブラックジャックのようにフェロフリュイドの顔面に当たった。その拍子にフェロフリュイドはキッチンの上に投げ出され、電子レンジや食器を巻き込んで床に落ちた。
この怪人は、夢に住む者である。フレディが起きている間はほんの少ししか力を出せない。焦点が合わない視界の中で、フェロフリュイドが口惜しそうな声を上げながら影に沈んでいくのが見えた。
毒ガスを纏ったマッドガッサーがフレディを見下ろしている。壁とカウンターに飛び散ったフェロフリュイドの蛍光色の血のせいで、真っ黒な訪問者の不気味なシルエットをより一層明瞭にしていた。蛍光色の緑にまみれた電子レンジ、食器、包丁──。包丁を掴むことを考えたが、持って構えることはできそうにない。マッドガッサーがフレディの顔を覗き込むように屈んだ。しかしもうガスマスクの判別すらつかないほど視界が霞んでいる。
「フリュイ!」
フレディは渾身の力で叫んだ。
「フリュイ!リビングへ行け!そこにコイツのガスを中和できる薬がある!」
「何…」
フェロフリュイドは何かを言いかけたが、すぐに口を閉じて影の中を渡り始めた。ほんの数秒遅れて、マッドガッサーはフェロフリュイドの特性を理解したのか、影を辿るようにリビングのほうを向いた。
フレディはよろめきながら立ち上がり、倒れて蓋が開いた電子レンジにもたれかかる。
蓋から中まで蛍光磁性流体の血がべっとりとついて、スライムのように垂れていた。がくつく膝に力を入れて電子レンジの蓋を閉める。手首を押し付けてダイヤルを回す。
そして、叩きつけるように“スタート”を押した。
「こっちだガス野郎!」
フレディは全身を使って電子レンジをマッドガッサーに向けた。振り向いたガスマスクのゴーグルにオレンジの光が映った。ジーーという間の抜けた稼働音が二人の間に流れる。
マッドガッサーが、電子レンジからフレディの顔へと視線を移した、その瞬間。
部屋に破裂音が響いた。
発熱したフェロフリュイドの血が──蛍光磁性流体が暴発し、弾丸のように飛び出してマッドガッサーの体を貫いた。
インバネスコートはじわじわと一段暗い色に染まり、ガスマスクの怪人は倒れ込んだ。真っ赤な血が床に広がった。
「はあ、はあ……」
フレディは身構えていたが、マッドガッサーの体はコートと帽子だけを残して見る見るうちに煮立つように泡を出しながら消えて行った。後に残されたのは服と大きな血だまりと、人型の奇妙なシミだけだった。
「まだ熱い」
射出された血を取り戻しながらフェロフリュイドは愚痴をこぼした。フレディはそれに微笑み返そうとしたが、気づいたときには床に倒れ伏していた。

6.
「本っ当に、やってることが7歳の頃と変わらない!」
フレディの母親はケーキとマッケンチーズを並べながらそう言った。ちぐはぐな組み合わせだが、快方と修繕祝いということなのだろう。
新型の電子レンジの設定が終わった父親もアップルジュースを持ってリビングに戻って来た。
「そうかな。講義で聞いたことに興味を持って実験してみたんだろ?ちゃんと授業を受けてる証拠だ」
「電子レンジに磁石を入れたのよ!家の!」
「大学のレンジでやらなくてよかった」
父親は笑いながらフレディにジュースを注いだ。もう酒が飲める年なのだが、いつまで経ってもこのちょっと高いアップルジュースを飲まされる。
「ほんとにごめん…心配かけて」
フレディがバツの悪そうな顔をすると、母親はめずらしく泣きそうな表情を見せた。
「レンジが爆発した拍子にガス管を傷つけて、そこからガスが漏れてたみたいなの。近所の子が運良く見つけてくれなかったら危なかったそうよ」
「そうなの?」
初耳の情報に思わず父親の顔を見た。
「どこの子かはわかんないんだけどね。ウチの電話から救急に『フレッド・S・クレイヴンの家でフレッド・S・クレイヴンが倒れている』って通報があったんだ。不思議な話だけど、救急隊員の人が言うには難しい質問には応えられなかったそうだから、見つけた子供が窓から入って通報してくれたんじゃないかって」
「そ、そうなんだ」
フレディは大笑いしそうになるのをどうにか堪えながら足元の影を見た。無言で真っ黒な手がぬっと飛び出し、フレディのふくらはぎを引っ搔いて消えて行った。
「こんなに立派な子もいるのに、あなたにはまだブギーマンが必要みたいね」
母親はマッケンチーズを山盛りに取り分けてフレディの前に置いた。父親は便乗してフレディが如何にブギーマンを怖がっていたか面白おかしく語り出し、母親は当時電話がどれだけ高価だったかを力説した。

Epilogue.
部屋に戻る。
デスクライトの首を少し傾けて自分の影が大きくなるように調整し、こっそり持ってきたケーキを影に近づけた。
すぐに手が伸びてケーキを掴みとった。真っ暗な中で蛍光色の口が大きく開くのが見える。
「いろいろありがとう」
フレディの礼に、フン!と大きなそっぽで返される。
「軟弱な奴だ。大きな貸しだぞ」
「そうだね」
すんなりと肯定されたことにますますへそを曲げたのか、怪人は深いところに潜ってしまった。
「おいフリュイ…」
フレディが自分の影を覗きこんだと同時に振り香炉が目の前に現れた。寸でのところで正面衝突を避ける。黒い手は得意気に香炉を誇示し続けていたが、ガスはしっかり抜いたあとのようだ。
「それ、お前が持ってたのか」
「そうだ」
「いいね」
フレディは振り香炉を受け取ると帽子掛けに飾った。
「もっと怖がると思った」
がっかりした声が下から響く。
「なんでさ?トロフィーだろ。俺とフリュイのさ」
フレディは長さを調整しながら弾んだ声を出した。
「こうやって見ると増やしたくなるよね」
壁に蛍光色で“Mad Madder(イカれたイカレ野郎)”と殴り書きが走る。フレディは笑ってベッドに寝転がった。
もちろん、傍らに銃を置いたまま。

PUNK DREAM, TERROR NIGHT: Reaper with Vapor
END.

 


skebありがとうございました。

下記ふせったーにあとがきを掲載しています。

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